血と葡萄(3)|タロット 象徴 葡萄
さて、イエスの血を赤い薔薇の象徴に追いかけてきた前編・中編でしたが、後編では葡萄の象徴を追いかけたいと思います。
最後の晩餐でイエスが「ワイン(葡萄酒)は私の血、パンは私の体」と宣言されたことは有名ですね。葡萄酒はイエスの血そのもの、葡萄酒の元となる葡萄は、西洋では最も神聖な食物とされています。
ちなみに『血と葡萄』の前編・中編で追いかけてきた薔薇は西洋で最も尊ばれた花です。
衝撃的な絵
そもそもこの『血と葡萄』という言葉。宮下規久朗先生の『 モチーフで読む美術史』で見た次の衝撃的な絵との遭遇からでした。
この絵画ではイエスの胸から葡萄の蔓がのび、実った葡萄をイエスが自ら搾り出しています。その絞り出された血ともいえるワインは子羊たちに与えられようとしています。言うまでもなく子羊は私たち人類。自らの血で人類を救うべくイエスの姿の寓意図ですね。
また、新約聖書ヨハネ伝十五章でイエスは、自分がまことの葡萄の木であり、すべての人間の魂は葡萄の幹にとどまって実を結ぶべき枝である、とも言ってます。これにより西洋では葡萄の木はもっとも神聖な木、人類の罪を贖うイエスそのものの象徴となっています。
この最も神聖な木であり神聖な食物でもある葡萄、タロットカードの大アルカナに1枚、小アルカナ3枚に象意として描かれています。
『ペンタクルの王』
はい、葡萄まみれです。服はもちろんのこと、彼の周りのは実際の葡萄の木が植えられていますね。王冠にはこちらもキリストの血の象徴、赤の薔薇と白の百合が交互に飾られています。こちらは殉職・受難の意味を示す赤い薔薇ではなく、王冠に飾られていることから奇跡的な力を得ようという意図が強く感じられます。
身の回り全てをもっとも神聖なものの象徴で飾り立てられた状態と言っても過言ではありませんね。幸福を示す太陽光の黄色に染められた背景も、神聖さを増します。
さて、彼の豪華な身なり以外にも注目してみましょう。
背景には他の3人の王(棒、剣、杯)には描かれていない城が見えます。これは豊かな財力による支配を表します。また、城を持つという象意としては彼が由緒正しい家柄の出身をも表しています。
右手に持つ笏(しゃく)は全てを支配する権力の象徴です。つまりペンタクルの持つ象意、お金・産業・資産といったものの王、この世の物質界の王です。
資本主義世界での成功者とも言える彼が身にまとっているのがこの葡萄のモチーフなのです。
ちなみに、小アルカナに3枚に葡萄の象意が描かれていると書きましたが、残る2枚もペンタクルです。
ペンタクルの9、そしてペンタクルの10。いずれも富や成功や豊かさの意味が含まれるカードです。
ペンタグルの9では葡萄の木の庭園を造っています。ちなみに葡萄の木の庭園は天国を象徴すると言われています。
ペンタグル10では財を築き上げたであろう老人が葡萄の木の模様の衣服を身にまとっています。
ペンタグルの王では葡萄の木の庭園に、さらに葡萄の木の衣服を身にまとう念の入れようです。
単純に葡萄の木にこうした成功や豊かさの象意もあるというわけではなく、やはりそこにはキリストの血がもつ「奇跡の力」を意図していると感じます。
つまり奇跡の力、神の恩恵があってこそ、人の世の成功や豊かさは成り立つのだということかなと思います。だからこそ、そうした恩恵に与るように身の回りを奇跡の象徴で固めるのかもしれませんね。
だからか、これら3人はいずれもその表情には笑顔はありません。神の恩恵無しに自身の努力だけでは得ることができない成功ということを知っており、さらにはそれらの維持も容易ではないことが伺えます。
『XV.悪魔』
いやなんでキリストの象意に悪魔やねん!という感じですが、大アルカナでは唯一の葡萄が描かれています。
見つかりましたか?
はい、左の女性の尾の先、ここに葡萄が描かれています。
EDEN GRAYがその著書『自在タロット』でこのことについて『女性の尻尾は命のワインの間違った使い方をしている』とちょっと痺れる言い方をしています。格好いいですね。
彼女も富や成功、豊かさを欲し奇跡の力を求めて葡萄を尻尾に飾ったのかもしれません。ですが、彼女の心は神の元にはなくただ欲望が支配する悪魔の元にあるようす。
さらには彼女はいつでも現状を変えられるにもかかわらず(なぜなら彼女にかけられてる首の鎖の輪はは余裕で頭より大きいよね?)ただその立場に甘んじているようです。結果、彼女の周りにはただ暗い闇が広がっているように思えます。
開運グッズ等(ここでは葡萄)に頼っても本人の心の持ちようや行動が伴わないとそれって『命のワインの間違った使い方をしているよ!』と言われてるようですね。(・・・( •᷄ὤ•᷅)自戒しよ。)
記事)小鳥遊-たかなし-