手相 左手 右手論争
どちらの手で何を観るのか。
手相の見方で、右手・左手の意味合いについて、流派、時代ごとに論争があります。
小鳥遊は、というと。
両手があれば両手です。
両手に相反するような相がでていたとしても、それもその人の相なのですから、その人なのです。
人の性格はそれを見せる相手や立場で発現するものが異なることも大いにあります。
自分の中でも、周りに合わせてつい自分らしからぬことを言ってしまった、行動してしまったということはないでしょうか?
でもそれすらも、本当に自分の中に無いものは出ないものなのです。
片手の場合でも、一つの手の中に矛盾を含むようなものはあります。
当然それもその人を表してるのですね。
もっと言えばその人に見られる現象(象意)全てがその人の「今」を示しています。
そしてその「今」が現象として現れた時、もうそれには結果を含んでいると考えられます。
卜占術(偶発的に出た結果で占い方法)などはその最もたるものですが、生年月日を使う命術なども、生まれたその瞬間を現象としてとらえて結果を読む占術といえますし、相術にしてもその相が形成された瞬間を現象が現れた時して結果を読む占術といえるのです。
現象を通じて未来への道を読む・・・読もうと先人方が探求し編み出したのが占術という術なのだと思うのです。
とはいえ、鑑定を続けているうちに左右論については思うところはあります
両手が全く同じという人はほとんどいません。その違いは制御する脳の違い(右手は左脳、左手は右脳)、利き手の違いといったことも影響するといわれています。
実占の場で小鳥遊が感じる傾向としては次のような感じです。
左手(右脳:感覚的・直観的・イメージ) | 右手(左脳:論理的・分析的・言語) |
情緒的な面、内面的な思考や感情の変化が先に出やすい
潜在的な性質はわりと左手に多くあらわれる(生まれたときは右脳優先) 本人がプライベートに捉えていることは左手に出やすい⇒素顔的
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行動面、外部的な表現の変化が先に出やすい
顕在的な性質はわりと右手に多くあらわれる 本人が社会的・公的に捉えていることは右手に出やすい⇒化粧した顔的 |
また、何年かあったら感じるところがあるかもしれませんが、今のところはこんな感じかな。
記事)小鳥遊-たかなし-