誉め言葉にありがとうと言う|自己承認を育てる思考法

誉め言葉には「ありがとう」と受け入れる
――自己を認めるという、最も静かな強さ
誰かからの誉め言葉に対して、私たちはときに「いえいえ、そんな」と反射的に口にしてしまう。照れ隠しのつもりであったり、自分を謙遜する美徳としてのふるまいであったり、あるいは心のどこかに「そんな自分ではない」という否定感が潜んでいたりする。
けれども、そのたびに自分という存在をそっと否定していることに、どれほどの人が気づいているだろうか。
自己否定の起源は「慎ましさ」という教え
日本人の文化において、「慎ましさ」や「謙虚さ」は美徳とされてきた。子どものころから「自慢してはいけない」「自惚れてはならない」と繰り返し教えられ、その言葉は意識の奥深くにまで染み込んでいる。
加えて、「誉められること=期待に応える義務」と感じる傾向もある。誉められた分だけ、その評価に恥じない自分でいなければならない。その重圧が、純粋な喜びを受け取ることを躊躇させる。
だが本来、「誉める」という行為は贈り物である。そして「受け取る」という行為もまた、贈る人の気持ちを尊重する、もうひとつの贈り物である。
心の奥にある「自己価値の見積もり」
誉められたときに素直に「ありがとう」と言えないのは、自分の中に「それほどの価値はない」とする思い込みがあるからかもしれない。まるで自分がそれを受け取る資格がないかのように。
だが、人は自分の価値を正確に認識することが難しい。自己評価と他者評価が一致するとは限らない。だからこそ、他者の視点から与えられる誉め言葉は、自分では見えなかった価値を映し出す鏡となる。
「ありがとう」と受け取ることは、自惚れでも虚栄でもない。それは、まだ自分が知らなかった価値の存在を、少しだけ信じてみるという姿勢である。
自己承認の第一歩は「受け取ること」
人は、外からの光をまっすぐに受け止めることで、自分の中にも光があることに気づく。
誰かの「素敵だね」「すごいね」という言葉は、ただの社交辞令ではないかもしれない。その一言には、見えている事実と、感じ取った真実と、相手のやさしさが織り込まれている。
「ありがとう」と答えることで、自分自身を肯定する小さな土台が築かれる。その土台は、誰かに与える安心感や信頼の基盤にもなってゆく。
「ありがとう」は、他者と自分のどちらにも届く言葉
誉め言葉に対して「ありがとう」と返すことは、ただ相手に礼を尽くす行為ではない。それは、自分の存在そのものを肯定する小さな肯き(うなずき)である。
他人の目を気にして控えめになるのではなく、自分を過大にも過小にも見積もらず、今あるままの姿を肯定する。
その心が静かに整ったとき、人は他者からの言葉をまっすぐに受け取ることができる。そしてまた、自分も誰かに向けてまっすぐな言葉を贈ることができるようになる。
誉め言葉に「ありがとう」と返せるようになるとき、それはきっと、自分自身との関係性がほんの少し変わり始めたときである。
🔹この思考法をまとめるキーワード
- 謙遜と自己否定の境界線
- 誉め言葉を受け取れない心理
- 自己肯定感と承認欲求の関係
- 素直に「ありがとう」と言う強さ
- 誉め言葉を育てる返答力
- 自己承認のはじめの一歩
- 他者の好意を信じる力
- 「受け取る」ことへの抵抗と和解
記事)小鳥遊
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